202403

 

cinema staff-somehow(2016)

The birthday-なぜか今日は(2011)

ART-SCHOOL-斜陽(2000)

MoritaSaki in the pool-She died under the bridge(2022)

ayutthaya-BACK(2020)

Daijiro Nakagawa-hotaru(2019)

揺れるは幽霊-夏の面影(2024)

ねごと-揺れる(2011)

People In The Box-犬猫芝居(2017)

ChenYueLong-Nop(2020)

くるり-ピアノガール(2000)

 

 

7割方はMoritaSaki in the poolを聴いていた 京都のバンドらしい エメラルドブルーの伊勢湾が浮かび上がってくる ライブに行きたい

山本登さんの「写して」という読み切りの漫画良かった 信念に従って規律から逸脱した先に何があるのかまだ知ることはできないが とにかく走り抜けたい

初めてスイパラに行った もう自分はスイーツはあまり食べられないということが分かった

茨城に行った 水戸駅周辺を少しだけ歩いたが立川って感じで馴染みやすくていいね 茨城のお年寄りは怖いと感じるような体験があった 念願の日立駅とその周辺を観光したけど最高だった 観光客と自分以外が

2週間くらい止まらない咳に悩まされていたが病院に行ったらだいぶ良くなった 医療に従事している方々ありがとう

美しくなりたいと事ある毎に考えていた 誰に対しても偽ることなくありのままをさらけ出してでもときに努力をして心から泣いて笑ってたまに過去を振り返っては愛おしく思いそれでいて身体は未来の方角を向いていてどんなときもそんな自分のことを胸を張って愛せるような人間になりたいと考えていた 真摯に生きるには感情とその感情が源となって生み出される言葉との差異を限りなく減らす必要がある 本をもっと読もうかな 本に登場する単語って全て適切だし 自在に言葉を扱いたい そういう人と話す機会があってそう思った

あとルッキズムとかいう概念がさあ うんざりですよ本当に 自意識から解き放たれたい ゴルフでも始めて

実家からかまぼこを送ってもらって食べたんだけどかまぼこを美味しいと思う日が来ると思わなかった

色んなアニメを観て色んな可愛いアニメの女の子にときめきを覚えてからかゲーセンを見かけるとUFOキャッチャーやガチャガチャやフィギュアコーナーなどを一通り見て回るようになって良かった 一人暮らしを始めてからスーパーにある自分に一切関係ないと思っていたコーナーがなくてはならないものばかりに見えたあの感覚に似ている 文化を己の体にわからせたい 陶芸したいですね 陶芸仲間を募集 ゴルフも

大学卒業した 今思えば入学してから今日までの全てが必要な時間だったわけだ 文字通り全てです 届くか?

なんでもできるけどなんにもできない気がしているし全ての人間を魅了することができるけど誰1人自分のことなんて好きにならない気がしてくる いや本当に 常に開かれている扉のその先へ一歩でも踏み入れたら全てを失う気がしてくる 漏れ出す光を眺めているくらいが身の丈に合っている気がしてくる

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Luby Sparks-Stayaway(2024)

For Tracy Hyde-New Young City(2019)

ueil-片方だけが燃えている(2024)

The Novembers-かたちあるもの、ぼくらをたばねて(2023)

The Beatles-I wanna hold your hands(1963)

Puhyuneco-Lonely,lonely 夕方(2018)

haruka nakamura-Lang(2008)

Keith Jarett-The Melody At Night,With You(1999)

 

 

 

時間を司る部分が壊れていた月だった やらないといけないことがない2日前何をしていたか覚えていられない 自分なんかと会ってくれたり会う約束をしてくれる友人たちの存在が本当にありがたかったが、時間に対するかつての平均的感覚には程遠かった 生きる上で課された義務とかも今後なくなっていくし(そんなもの元々ないけど)もっと世界を迎え入れていく努力をすべきだけど既にここ1年くらいはそういう精神性でやってきたような気もするし 毎日この時間ってやつ何なんだ?って感じで...厳しい

いわゆるドリームポップというジャンルの音楽を好んで聴いていた ボーカルが変わったみたいだけどLuby Sparksずっとかっこいい おもちゃみたいなギターの音が好きだ 昨年末ノベンバが出したアルバムに収録されているSeaside、feeble little horseのPaces、M83の Graveyard  Girlなど 布団にうずくまっていても広大な3次元の世界に連れ出してくれた 普段あまり人と音楽の話をしたくはないけど吹奏楽のいい曲を教えてもらったり海外のいいインストアルバムを教えてもらったり友人のつくったいい曲にハマったりと新体験が多くてよかった 皆さんありがとう

歳とった瞬間はuremaのさむいさむいこおりのなかを聴いていた もう歳をとることに喜びを感じることはないけど祝ってもらうことはなんかずっと嬉しい 祝ってくださった方ありがとう

初めて1人で銭湯に行ったけどよかった 主に露天風呂を楽しんだ 直近8年分くらいの様々な過去が身体を通過した いい思い出は何度か反芻するくらいには余裕を持って懐かしむことができたし 辛い出来事に関してはだからなんだったんだろう?みたいな感じで...ニュートラルに捉えることができた 膨大に蓄積された思い出の渦にどれもスッと飲み込まれた

小笠原諸島に行きたくて旅行会社に連絡したけどどのツアーも満員だった 遠くに行きたい 1人で

メジャースケールは自然界に生息するから心地良く感じるだとか物理的な振動数によって音の高低が決められているだとか 音において人が介入できない部分が視界に入る度自分の歌声が入った曲をつくりたくなくなる 他人がつくった他人が歌っている曲には常に救われているのになぜ自分のことになると駄目になるのか分からない 一方で、自分の声がそこにはない、例えばギターだけで自分の感性や音の捉え方を表面化することはずっと好きだ こないだシューゲイザーっぽい音作りを探していたら2019年の自分が救われる音が出て嬉しかったけど形にするには歌わないとそれはそれで釈然としないし途方に暮れている 複雑な事情でボーカロイドも使えないし でも本当に時と場合が異なるというだけで自分の歌声は決して悪くないとは思うから合唱団とかに入ってそういう集合体の一部として扱われたい これからどうやって音楽に関わっていくか全く考えていない もう一曲もあげることはないかもしれないしでもインストアルバムとか作ってみたさあるし 人から感想をもらえるの本当にありがたいし嬉しいけどあくまで副次的なものとして 全て自己満足であることを忘れたくないと思う 自分にとっては

映画を映画館で観た 面白かった 自分が新幹線とか船とか目的地に向かっているときの移動が好きな理由が分からなかったけど、そもそも映画館で映画を観る行為とか信号の待ち時間とか市役所での受付の順番待ちとか電子レンジでチンしているときとかそういう人力(狭義的にいうと自分1人の行動)ではどうしようもない時間が好きなんだと気づいた というかそういうどうしようもなさを免罪符に何もせずにいられることが好きなんだと思う 怠惰だ 映画館では映画を観る以外の行為は禁止(?)されているため "映画を観る以外何もさせてもらえない時間"を強制されているという点で何もせずにいられる時間の中でもずば抜けてお得だ

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Larry Carlton-Room 335(1978)

Bill Evans Trio-Waltz for Debby(1961)

The Velvet Underground-Sunday Morning(1967) 

ドビュッシー-アラベスク第一番

cadode-回夏(2022)

ひとひら-つくる(2023)

雪国-二つの朝(2023)

スピッツ-優しくなりたいな(2001)

Puhyuneco-akane(2020)

ZAZEN BOYS-チャイコフスキーによろしく(2024)

Chet Baker-Chet Baker & Strings(1953)

 

 

母国語以外で歌唱されている楽曲全般に苦手意識があった 単純に言語が分からないからだと思う 実体を持つものと比べ、とてもじゃないけど具体性に限界がある音楽だからこそ、耳に入ってくる情報をできる限り理解しようと/理解したいと思うきらいがあった 歌詞の意味が分からないと、面白くない

しかし、IVEやNewJeansらをはじめとする韓国発のアイドルグループによって昨年の4月11日(IVEの I AMのMVが公開された翌日にたまたま聴いた日)をもってこの概念は打ち壊される 顔が整っている方々が歌を歌いながら踊っているという視覚的な楽しさが韓国語や英語の詞を耳に入れることへの抵抗を弱めてくれた そしてそれはやがて、"何言ってるか分からないけどなんかいい"の思考を獲得するきっかけとなり、今では毎日新たな洋楽を聴いては(なんかなんとなくいいな)をする日々となっている 韓国のアイドルの皆さんありがとう 最近はLE SSERAFIMの切り抜きことカズハの腹筋部屋をよく見てる

また、ルート音の連続から生まれるその曲の雰囲気、そしてウワモノ(という言い方は各所に失礼かも)によってより狭義的に洗練された雰囲気を楽しむ聴き方をする性分でもある故に、"なんかなんとなくいいな〜"のみならず、そういった解釈の余地を残してくれる奥ゆかしい曲が好きだということにも気付いた Larry CarltonのAmerican Family、ジャズでいうとBill Evans TrioのMy foolish Heartとか、そういった比較的テンポや音色がゆったりとした曲を好んで聴いた月だった 元々教養として聴いていた曲も全く違う聴き方をできた The BeatlesのYesterdayなど

 

おれにはもう時間がないって誰が決めたんだろうか?その瞬間は宇宙側が勝手に構築(に関しては既にされているんだけど)/提供してくるんだから、ゆっくり、精一杯、全部やってみればいい そう思いませんか?客観的な評価軸をなるべく予測してそうあろうと努めつつも、自分にしかできないことや自分がやりたいことを優先してそこで価値を測ってしまう、究極の主観が心地いい 誰かにそれが伝わるのならそれは生きた証になるし、自分は既にそういう軌跡を残しつつある 幸せ者だ

三が日に1年ぶりに父親の家にお邪魔したが、彼らの愛犬のコーギーが昨年の8月に亡くなっていた かなり長生きだったこともあり、昨年お邪魔したときは歩く際に後ろ足がもつれていたものの、まだまだ生き永らえるぞ〜という気概がみえた こちら側が意図していないタイミングで命が亡くなる/亡くなったという体験は、何度やっても慣れず程度の差こそあれどいつも悲しい 本来はそれが人の本質で、ましてや自分がいつ悲しませる側に立つのか一切分からないのに一丁前に悲しんでみたりしている

親交の深い友人が自殺した影響で自殺未遂をした友人がおり折に触れてやり取りをしていた 悲しみとかを分かち合うことはできても、根源的な死にたいという気持ちだけは自分にはどうすることもできなかった 自分を含め周りにそれが伝播することは避けたく、当分は長生きしたい志向にあるから、浮き輪を投げることはあっても一緒に溺れることはしなかった

1週間前にディズニーシーに行ったけどよかった あれら全てが人工物だとは到底思えない 全て(文字通り全て)に感動し、事あるごとに「国すぎる」とぼやいた、同行人が時間を空けて何度も何度も「国ですか?」とからかってくるほどに すれ違う誰もが笑っていた気がする タワテラがすごすぎて足元に置いていたダッフィーのカチューシャが吹っ飛んでしまっていてウケた