202401

 

Larry Carlton-Room 335(1978)

Bill Evans Trio-Waltz for Debby(1961)

The Velvet Underground-Sunday Morning(1967) 

ドビュッシー-アラベスク第一番

cadode-回夏(2022)

ひとひら-つくる(2023)

雪国-二つの朝(2023)

スピッツ-優しくなりたいな(2001)

Puhyuneco-akane(2020)

ZAZEN BOYS-チャイコフスキーによろしく(2024)

Chet Baker-Chet Baker & Strings(1953)

 

 

母国語以外で歌唱されている楽曲全般に苦手意識があった 単純に言語が分からないからだと思う 実体を持つものと比べ、とてもじゃないけど具体性に限界がある音楽だからこそ、耳に入ってくる情報をできる限り理解しようと/理解したいと思うきらいがあった 歌詞の意味が分からないと、面白くない

しかし、IVEやNewJeansらをはじめとする韓国発のアイドルグループによって昨年の4月11日(IVEの I AMのMVが公開された翌日にたまたま聴いた日)をもってこの概念は打ち壊される 顔が整っている方々が歌を歌いながら踊っているという視覚的な楽しさが韓国語や英語の詞を耳に入れることへの抵抗を弱めてくれた そしてそれはやがて、"何言ってるか分からないけどなんかいい"の思考を獲得するきっかけとなり、今では毎日新たな洋楽を聴いては(なんかなんとなくいいな)をする日々となっている 韓国のアイドルの皆さんありがとう 最近はLE SSERAFIMの切り抜きことカズハの腹筋部屋をよく見てる

また、ルート音の連続から生まれるその曲の雰囲気、そしてウワモノ(という言い方は各所に失礼かも)によってより狭義的に洗練された雰囲気を楽しむ聴き方をする性分でもある故に、"なんかなんとなくいいな〜"のみならず、そういった解釈の余地を残してくれる奥ゆかしい曲が好きだということにも気付いた Larry CarltonのAmerican Family、ジャズでいうとBill Evans TrioのMy foolish Heartとか、そういった比較的テンポや音色がゆったりとした曲を好んで聴いた月だった 元々教養として聴いていた曲も全く違う聴き方をできた The BeatlesのYesterdayなど

 

おれにはもう時間がないって誰が決めたんだろうか?その瞬間は宇宙側が勝手に構築(に関しては既にされているんだけど)/提供してくるんだから、ゆっくり、精一杯、全部やってみればいい そう思いませんか?客観的な評価軸をなるべく予測してそうあろうと努めつつも、自分にしかできないことや自分がやりたいことを優先してそこで価値を測ってしまう、究極の主観が心地いい 誰かにそれが伝わるのならそれは生きた証になるし、自分は既にそういう軌跡を残しつつある 幸せ者だ

三が日に1年ぶりに父親の家にお邪魔したが、彼らの愛犬のコーギーが昨年の8月に亡くなっていた かなり長生きだったこともあり、昨年お邪魔したときは歩く際に後ろ足がもつれていたものの、まだまだ生き永らえるぞ〜という気概がみえた こちら側が意図していないタイミングで命が亡くなる/亡くなったという体験は、何度やっても慣れず程度の差こそあれどいつも悲しい 本来はそれが人の本質で、ましてや自分がいつ悲しませる側に立つのか一切分からないのに一丁前に悲しんでみたりしている

親交の深い友人が自殺した影響で自殺未遂をした友人がおり折に触れてやり取りをしていた 悲しみとかを分かち合うことはできても、根源的な死にたいという気持ちだけは自分にはどうすることもできなかった 自分を含め周りにそれが伝播することは避けたく、当分は長生きしたい志向にあるから、浮き輪を投げることはあっても一緒に溺れることはしなかった

1週間前にディズニーシーに行ったけどよかった あれら全てが人工物だとは到底思えない 全て(文字通り全て)に感動し、事あるごとに「国すぎる」とぼやいた、同行人が時間を空けて何度も何度も「国ですか?」とからかってくるほどに すれ違う誰もが笑っていた気がする タワテラがすごすぎて足元に置いていたダッフィーのカチューシャが吹っ飛んでしまっていてウケた