202402

Luby Sparks-Stayaway(2024)

For Tracy Hyde-New Young City(2019)

ueil-片方だけが燃えている(2024)

The Novembers-かたちあるもの、ぼくらをたばねて(2023)

The Beatles-I wanna hold your hands(1963)

Puhyuneco-Lonely,lonely 夕方(2018)

haruka nakamura-Lang(2008)

Keith Jarett-The Melody At Night,With You(1999)

 

 

 

時間を司る部分が壊れていた月だった やらないといけないことがない2日前何をしていたか覚えていられない 自分なんかと会ってくれたり会う約束をしてくれる友人たちの存在が本当にありがたかったが、時間に対するかつての平均的感覚には程遠かった 生きる上で課された義務とかも今後なくなっていくし(そんなもの元々ないけど)もっと世界を迎え入れていく努力をすべきだけど既にここ1年くらいはそういう精神性でやってきたような気もするし 毎日この時間ってやつ何なんだ?って感じで...厳しい

いわゆるドリームポップというジャンルの音楽を好んで聴いていた ボーカルが変わったみたいだけどLuby Sparksずっとかっこいい おもちゃみたいなギターの音が好きだ 昨年末ノベンバが出したアルバムに収録されているSeaside、feeble little horseのPaces、M83の Graveyard  Girlなど 布団にうずくまっていても広大な3次元の世界に連れ出してくれた 普段あまり人と音楽の話をしたくはないけど吹奏楽のいい曲を教えてもらったり海外のいいインストアルバムを教えてもらったり友人のつくったいい曲にハマったりと新体験が多くてよかった 皆さんありがとう

歳とった瞬間はuremaのさむいさむいこおりのなかを聴いていた もう歳をとることに喜びを感じることはないけど祝ってもらうことはなんかずっと嬉しい 祝ってくださった方ありがとう

初めて1人で銭湯に行ったけどよかった 主に露天風呂を楽しんだ 直近8年分くらいの様々な過去が身体を通過した いい思い出は何度か反芻するくらいには余裕を持って懐かしむことができたし 辛い出来事に関してはだからなんだったんだろう?みたいな感じで...ニュートラルに捉えることができた 膨大に蓄積された思い出の渦にどれもスッと飲み込まれた

小笠原諸島に行きたくて旅行会社に連絡したけどどのツアーも満員だった 遠くに行きたい 1人で

メジャースケールは自然界に生息するから心地良く感じるだとか物理的な振動数によって音の高低が決められているだとか 音において人が介入できない部分が視界に入る度自分の歌声が入った曲をつくりたくなくなる 他人がつくった他人が歌っている曲には常に救われているのになぜ自分のことになると駄目になるのか分からない 一方で、自分の声がそこにはない、例えばギターだけで自分の感性や音の捉え方を表面化することはずっと好きだ こないだシューゲイザーっぽい音作りを探していたら2019年の自分が救われる音が出て嬉しかったけど形にするには歌わないとそれはそれで釈然としないし途方に暮れている 複雑な事情でボーカロイドも使えないし でも本当に時と場合が異なるというだけで自分の歌声は決して悪くないとは思うから合唱団とかに入ってそういう集合体の一部として扱われたい これからどうやって音楽に関わっていくか全く考えていない もう一曲もあげることはないかもしれないしでもインストアルバムとか作ってみたさあるし 人から感想をもらえるの本当にありがたいし嬉しいけどあくまで副次的なものとして 全て自己満足であることを忘れたくないと思う 自分にとっては

映画を映画館で観た 面白かった 自分が新幹線とか船とか目的地に向かっているときの移動が好きな理由が分からなかったけど、そもそも映画館で映画を観る行為とか信号の待ち時間とか市役所での受付の順番待ちとか電子レンジでチンしているときとかそういう人力(狭義的にいうと自分1人の行動)ではどうしようもない時間が好きなんだと気づいた というかそういうどうしようもなさを免罪符に何もせずにいられることが好きなんだと思う 怠惰だ 映画館では映画を観る以外の行為は禁止(?)されているため "映画を観る以外何もさせてもらえない時間"を強制されているという点で何もせずにいられる時間の中でもずば抜けてお得だ